歴史
未来創造の学びの足跡

平和とヒューマニズムを何よりも尊び、日本の復興と民主主義の担い手にふさわしい、豊かな人間性と科学的合理主義を兼ね備えた〈行動する思考人〉を養成する。これが、学園の教育理念でした。園長の新村猛(仏文学)をはじめ、青山秀夫(経済学)、重松俊明(社会学)、住谷悦治(経済学)、藤谷俊雄(日本史)など、当時の京都の最高の学者たちによる講義は青年たちを魅了しました。教室には学問への情熱があふれていました。その後、人文学園は、働きながら学びたいと願う人々の教育に重点を移し 1949 (昭和 24)年には夜間部を設け、京都における勤労者教育のさきがけとなりました。
戦後復興が進み、6 ・3 ・3 ・4 制の新しい学校制度も整い、大学進学を希望する青年が増大してきた中で人文学園は、進学意欲を励まし、合格に必要な受験学習を行なう良心的な予備学校を開設します。これが「関西文理学院」(1951 〈昭和 26 〉年開校)です。営利を追求する受験教育とは一線を画し、人文学園創立の理念を、確かな学力とともに有意義な大学生活を通じて豊かな人生を開花させる全人教育に生かす、新しい進学者教育を提唱しました。そのユニークな教育は生徒の人気を集め、この半世紀で約 10 万人の生徒を大学へと送りだしています。1954 (昭和 29)年には学校法人として認可され、今日の関西文理学園(認可当初は賀茂川学園)が誕生しました。他方、人文学園は、労働組合運動の前進を背景にして高まった勤労者教育の要求に応えるため、姉妹学園として「京都勤労者学園」(1957 〈昭和 32 〉年開設)を発足させます。
その後 80 年代に入って関西文理学園は、「情報化」「国際化」が急速に進むなかで、幅広い教養と専門性を備えたビジネスマン養成の社会的ニーズに応えて、1986 (昭和 61)年には「ビジネスカレッジ京都(旧校名・関西文理情報会計専門学校)」を設立。さらに、新時代をひらくバイオ産業の技術者を育成するために、宝酒造バイオ事業部門(現タカラバイオ(株))との「産学協同」型の専門学校「バイオカレッジ京都」を 1993 (平成 5)年開校しました。
そして、21 世紀のキーテクノロジーとしてグローバルに発展するバイオ科学と産業の高度な人材育成が求められ、滋賀県、長浜市、タカラバイオ(株)などの企業のバックアップを受けて、2003 (平成 15)年 4 月に、日本で唯一のバイオ系単科大学「長浜バイオ大学」を滋賀県長浜市に開校(2002 年 12 月大学を運営する学校法人「関西文理総合学園」が認可設立)、関西文理学園は名実ともに総合学園に成長発展しました。
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